がん治療を淡々とこなす記録

29で乳がん、寛解したと思ったら35で新たに大腸がん(原発#2)。心の寄り添い一切なしのがん患者お役立ちブログを目指す記録。

【第二章更新版】私のスペック

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1983年2月生まれ(30歳 35歳※2018年末時点

未婚。結婚予定とくになし。

2012年の夏、右に浸潤性乳管癌発覚。リンパ節転移2箇所。ステージ2b。

2018年の秋、S状結腸がん発覚。所属リンパ節転移25箇所+肝転移ミニサイズ5箇所。ステージⅣ。 ←NEW!! 

 

仕事はWebディレクター。経歴8年。 Webプロデューサー(但しやってること一緒)。経歴14年。

都内IT系企業のWeb制作部に所属し、案件をまわしている。

仕事はたまに忙しく、徹夜や月100時間残業を何度か経験しているが、定時に帰れることもけっこうある。

仕事内容は変わっていないが会社は2016年に変わった(転職)。徹夜たまーにあるが月100残はなし!残業明らかに減った上在宅勤務OKのわりといい環境に変化。

 

趣味は音楽。ユニットを組んでいてピアノとDTMによる作曲をしたり、ライブ等。

1人暮らしのマンションにグランドピアノを置いている。

吹奏楽団や、オーケストラにも所属しており、クラリネットを担当。割とガチでやっている。

ここ数年、上記に加えてメタルと民族音楽にはまり、メタルバンドでキーボードを弾き始める。またテナーサックスを購入しパンクバンドを始める。また海外旅行にも年1,2で行き始める。主に海外在住友人宅訪問または音楽系のゆかり地訪問、ライブ参戦を目的とする。 ←NEW!!

 

お酒が大好き。

好きだけど禁酒中。大腸手術まではガチ禁酒であったが、肝臓手術までは自粛中。

内視鏡検査当日のごたごた

大腸内視鏡検査を受けたことがある方はおわかりかと思いますが。

内視鏡検査を受ける場合、腸をからっぽにしなければならないので、そのための対策をさせられます。

まず検査の3日くらい前から消化の良いもののみを食べるようにします。そのうえで検査前日に下剤を飲み、検査当日は2リットルくらいある腸洗浄液を飲みます。腸洗浄液は、まずい薬にグレープ風味の甘さがつけられている感覚の味です。この液をすこしずつ、4時間くらいかけて飲みながらトイレにたくさん行き、腸を洗浄するというシステムです。

 

私もそれに従って、前日に規定の下剤を飲んで寝ました。

その3日前から消火の良いもののみということでほぼ毎日うどんを少量しかたべていなかったので腹痛も起きずでしたが、下剤を飲んで寝た翌日の朝、最悪に下腹部が痛くて目覚めました。トイレに行っても何も出ず、悶絶しついに自分で救急車を呼びました。(一人暮らしなので)

救急車、人生初乗車です。救急車って乗ってもすぐに出発しないんですね。まず生年月日と名前、病歴などの基本情報とかを聞かれて痛いのにそれらに回答しなければなりません。そうこうしていたら、偶然にも検査予約をしていたクリニックから電話がかかってきました。内容は、「午後3時の予約でしたが、院長が診たいようなので12時でもいいですか?」というもの。(この時点ですでにクリニックからもこいつヤバイかも認定されていたのかも?)そこで「え~実はかくかくしかじかで今救急車に乗っていまして」というと、そのままクリニックに来てくださいとなり結局ふつうに救急車でクリニックに運ばれました。

さて現地に到着したくらいから、どうも上から下から状態に。いったん診察台に運ばれなんやかんやした後、とにかく検査しないとだからこのまま腸洗浄液飲んで検査やりましょう、とのことでリクライニングチェアのような部屋に通されました。そこから例の2リットルドリンクを飲みながらトイレに行くも、全体的にヘロヘロ。結局7時間くらいかかってようやく内視鏡検査がスタートしました。

スタートしたら、すぐ終わりました。

通常結果は後日なのですがすぐに呼ばれ、「予想外の展開ですのでこのまま〇〇病院に行ってください、はいコレ紹介状ね。」と。直腸からカメラを入れて、最初の曲がり角からS状結腸に進むところですでに腫瘍で先に進めないので検査終わりました、ということでした。

 

紹介状を持ってその病院にタクシーで直行。

ちなみに、ここまで私は救急車で来ているので、完全に服装が外にいていい状態ではありません。9月なのでまだ暑いですから、上はノーブラのTシャツ1枚、下はユニクロの薄いルームウェア、裸足にサンダル、持ち物は右手にスマホと家の鍵、左手に財布(しかもたまたま現金が200円くらいしか入っていない)をそれぞれ生で持っている状態。この状態でタクシーに乗り、Suicaかカード使えるかを確認して乗車、そのまま市民病院に移動し、救急外来でCT、そしてその服装で即入院で1泊しました。

 

次の日外出申請して荷物取りに帰りましたけどね。

 

ちなみに即入院となったのは、腫瘍がこの時点ではまだ悪性と決められはしないが、イレウス(ガスも水も通らないふさがった状態)の一歩手前なので一刻も早く絶食せよということによります。まだかろうじて通りはする状態のようでした。そこから1回目の入院はこのようなスケジュールです。

1week:そもそも入院日が3連休の前日夜だったため、何も検査もできずただただ絶食し点滴を打たれるのみで3日過ごし、その後もろもろの検査。

2week:大腸ステントという拡張器具を入れる(※次回詳細)

3week:液状の栄養ドリンク→流動食まで進歩し、診断確定、手術日決定、いったん解放、シャバへ。

 

 

次回は、現代の医療はすごい!大腸ステントについてです。

 

健康診断はスルーしないほうが良い

至極当たり前のことなのですけれども。

というか普通の人は、健康診断で要精密検査となったら即再検査行くものです?

 

ところで私は書けていない第一章のアジェンダの下記記事で、

私のスペック、もくじ - がん治療を淡々とこなす記録

 

「健康診断はあてにするな」という目次を書いていました。

前回は健康診断の乳がん検診でずっと異常なしだったのに急に明らかな腫瘍ができて、検査行ったらステージⅡBという結果だったので、健康診断全然あてにならないなと思っていました。

その時医師や看護師に言われたことは、

健康診断は健康なことが前提の検査だから・・・ です。

 

 

で、別にだからというわけでもないのですが、私は今回、昨年の健康診断における要精密検査をスルーしていました。私の考えとしては、「次の検査でも引っかかったら行こう」でした。

その検査というのは、検便です。私は最近転職したのですが、それ以前の健康診断では検便はありませんでした。加齢で追加されたのか健保が変わって追加されたのかは不明なのですが、とにかく人生初の検便でした。2日間取るとか知らなくて、前日に気づいて仕方なく1日分だけ持って行ったのもあり(理由にならないけど)、便潜血陽性と出ても、「ちゃんと提出できてないし」とか「痔かしら」などと真剣に捉えず、見事にスルーしました。あと当時毎朝快便だったので何も心配していなかったのです。

 

年が明けて、春頃私は軽く手術をしました。乳がんの術後ホルモン治療の関連で子宮内に大きめのポリープができていて、これはもう取りましょうということで、経膣で内膜掻き出ししました。

その手術は2泊3日くらいで終わりましたが、その手術を境に私は急に便秘になりました。はじめはただちょっと便秘だなあと思ったくらいだったのですが、日に日に食後に下腹部が痛くなるようになりました。先述の通り子宮手術以降に便秘になったので、手術の癒着ではないかなども疑い、婦人科の診察時に相談してみたりしましたが、当然医師というのは科が違うと専門外なので、じゃあ酸化マグネシウムでも出しとくよ的なあしらいでした。

 

さて、夏ごろいよいよ毎食後ほぼ腹痛、という状況になり少食になってきました。トイレに行ってもどうも腸内に何かありそうな感じがするので、これは大腸内視鏡検査をすべきと自己判断、内視鏡検査を毎日たくさんやっている近所のクリニックに行くことにしました。

検査予約するときの診察では、とくに「こりゃヤバイ」的な反応ではなく普通に予約をして検査キットをもらって帰りました。

 

さて、この内視鏡検査当日の朝がすったもんだありまして、

こちらは次回の記事とさせていただきます。

 

 

とにかく言いたいのは、ステージⅣには急になるものではないので昨年の要精密検査はおそらくアラートであったということです。せっかくのアラートを無視し、進行させてしまったのは良くないことです。ただもちろん今となっては去年だったらどうだったかはわかりません。昨年精密検査に行っても何も見つからなかったかもしれないし、見つかっても結局治療は同じだったかもしれないし転移してなかったかもしれないけれどしてたかもしれないし、仮定を考えても仕方ないのです。

 

まあただ、今年の前半は個人的にいろいろ楽しいことも大切なこともあって、

2月に大好きなバンドが来日ライブしたことや

3月に自分のライブをしたことや

4月にさきほどのポリープ手術したことや(不正出血が続いていたので取って本当に楽になった)

主に今年の前半に仕事は自分的に重要な役割をこなしていたことや

6月にチェコにフェスを見に行くという楽しくて仕方ない旅行をしたことや

7月に所属するオーケストラですごく良い演奏ができたことや

8月には最近はまっているアイリッシュホイッスルの演奏ができたことなど

 

(このブログでは触れていない私の日常がさらりと出てきていますがいろいろやっているのです)

 

今年前半に治療していたら全部できていなかったことを考えると、まあ現状と比べてトントンだな、と思うようにして自己解決です。

とりあえず今完治前提で進めているので、良しとします。

 

 

と、いうことで話がそれましたが次回は

内視鏡検査当日のごたごた

です。

ブログの再開~継続の決意~

じつに5年の時を経て、このブログを再開いたします。

 

これまでのたった3記事をもし読んでくれていて、その後アクセスいただいてた方がいましたらきっと予後が悪くて亡くなったのかなとか思っていたかもしれません。

 

いいえ、ただの3日坊主です。

 

やはり治療が一通り終わってからですとリアルタイム感も無く、やる気も続かなかったです。それにしても3記事はひどいw



さてそんなわけで立ち上げ時のトピックスである乳がんは今年の夏に無事「寛解」を迎えたわけなのですが、時を同じくしてなんと第2章が始まってしまいました。

 

今回は再発ではない新規の発覚となる、大腸がんステージⅣ+肝転移治療のお話です。

 

29で乳がんになったと思えば35にして新規2か所めとは何の罰ゲームだと思わざるを得ませんが、前回よりもさらにレア感を増した自分の体験記を、今度こそ形にすべくブログを再開したいと思います。

 

今回も第1章の方針である、「無意味な心の寄り添い」を排除した淡々とした治療のステップとそれに付随する生活や遊び、仕事のコツを参考にしていただけるブログを目指します。

そもそも、まずは継続を目指したいと思います。

 

 

なお、これを機会にアジェンダまで作ったのに書けていない第一章乳がんのほうも、忘れ去られがちな過去をがんばって思い出しながら並行して記事を書いていくぞと意気込んでおります。逆にアジェンダがあってよかった。

1、女性ホルモン的な症状

ことの始まりは高校生くらいのときである。もともと生理不順で、まさにいつ来るかわからない状態。27日経っていないのに来る、と思ったら1カ月半ほど空く、2週間ほど続く、等々。

はじめのうちは、「思春期は不順」と一般的に教えられたとおり気にしていなかったものの、そのうち、いよいよ思春期とかそういう問題ではないのではないか、という状態に。

あるとき、毎回終わりかけの状態がだいぶ長く続くようになり、その状態がだんだん悪化してついにはずっと終わらなくなる。

終わりかけ状態が数カ月続いたので、これはどうしたものかと初めて婦人科に出向く。

 

出血が止まらない時はピルを飲むらしい。プラノバールという、一般的に避妊用に使われるものより強い類のものを常用するようになる。

ここから数年経ってようやく症状の詳細が分かるのだがそこの経緯は省略して。

病状としては「多嚢胞性卵巣症候群(略してPCO)」というもので、端的には卵巣が異常で排卵障害のため子宮内膜が徐々に剥れていき、ストップのタイミングが無いためずっと止まらない状態である。

 

ピルの他に、女性ホルモンを促す漢方やら、排卵誘発剤やら、よくわからない注射やら、ほぼ毎月通院し毎月投薬し続けること10年。

途中、勝手に服用をやめてみたらたまに生理が復活することもあったが、またもとに戻り結局は再通院、というようなことを続ける。初めのうちは誘発剤などのフルセットを受け入れていたものの、段々面倒になり後半はピルを無理やり数か月分処方してもらいなるべく病院に行かなくても良いようになんとなくやっていく。

 

さて長くなったがなぜここから始まるかというと、投薬による女性ホルモン摂取は乳がんに悪いのである。勿論原因がこれと決まったわけではないが、個人的には絶対そうだと思っている。

 

10年服用していた時代は全くそんなリスクなど知らなかったし、そもそも乳がんの存在すら認識していない時代からやっているのでほぼ日課のようなものである。

しかし乳がんが見つかってから、「ピルの一生服用禁止令」が下されはじめて知ることになる。確かに、女性ホルモン摂取により乳腺が発達するからダメだ、というロジックは納得できる。

おかげで現在は抗女性ホルモン剤服用というこの時代と全く反対のことをする羽目に。。

 

余談だが、看護師とこのことを雑談で語っていたときにイソフラボンを取っても良いのか、納豆を食べても良いのか、などを聞いてみたところ、「毎食納豆2キロとか食べなければそんな少量影響しない」と笑いながら言われる。

納豆を禁止されなくて本当によかった。一応「イソフラボンサプリ」などは封印しようと思う。

 

 

しこりが見つかって悪性と判明し、色々と検査結果を言われてゆく中で、サイズ的に発生は下手すれば8年前だと聞かされ、「んなアホな」と思っているわけであるが、明らかに急に登場して、探さずとも分かる明らかな腫瘍となるまでに成長するまでそう年月は無かった記憶があるので、このピル投与のせいで普通の人より腫瘍が急成長したのではないかと踏んでいる。

 

女性的な疾患は結局このようにリンクしているのである。ホルモン系のどこかが悪いとバランスが崩れてどこかしらが悪くなって癌になったりするのだきっと。

特に証明されているわけではないが。

なので、ホルモン系の何かの疾患を持っている人間は、ホルモン系の重病になるリスクがあることを認識し、たまにチェックする必要があることを一般に広めたい。

すでに子宮がんのリスクが高いから検査しろと言われ続けて昔から常に検査しているが、そのうちなりそうだなと勝手に思っている。

 

意外と、良い年してまだあの「婦人科の内診」をやったことが無いという人はけっこういて、30代後半の女性でも「心配なのはわかっているけどコワイからできないー(><)」などといった能天気なことをほざいている人間には裏拳を与えたくなるものだ。

自分は10代の頃から一体何十回内診をやったか分からないが、ベテランすぎて今では何とも思わなくなっている。

 

 

 

私のスペック、もくじ

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1983年2月生まれ(30歳)

未婚。結婚予定とくになし。

2012年の夏、右に浸潤性乳管癌発覚。リンパ節転移2箇所。ステージ2b。

 

仕事はWebディレクター。経歴8年。

都内IT系企業のWeb制作部に所属し、案件をまわしている。

仕事はたまに忙しく、徹夜や月100時間残業を何度か経験しているが、定時に帰れることもけっこうある。

 

趣味は音楽。ユニットを組んでいてピアノとDTMによる作曲をしたり、ライブ等。

1人暮らしのマンションにグランドピアノを置いている。

吹奏楽団や、オーケストラにも所属しており、クラリネットを担当。割とガチでやっている。

 

お酒が大好き。

 

 

 

このブログのもくじ。書く前にあらかじめ暫定トピックスをまとめます。

※もくじは途中で変更になる可能性があります

 

1、女性ホルモン的な症状

2、会社の健康診断はあてにするな

3、女性的専門クリニックの検診

4、良性?悪性?

5、宣告されてとりあえずどこに報告してどこに伏せるべきか

6、病院を選ぶ基準とは。

7、主治医のキャラと病院の印象

8、治療方針の選択を委ねられた時考えるべきこと

9、迷うならとりあえずセカンドオピニオン

10、がんの進行度と扱われ方

11、治療方針決定後のスケジュール

12、ウィッグはファッション用でOK

13、禁煙

14、抗癌剤投与の流れ

15、副作用抱えながらナチュラルに通勤する

16、髪の抜け具合、どのタイミングでウィッグを被るか

17、会社での振る舞い

18、副作用対策と飲食等の兼ね合い

19、生理謎に来て去る

20、抗癌剤治療中に合宿

21、抗癌剤治療中に法事

22、化学治療の効果

23、休職の仕方

24、手術グッズ解説

25、ベルトコンベアー入院

26、手術詳細解説

27、病室コミュニケーション

28、術後、いつから酒を飲んでいいのか

29、ユニクロのブラトップがすばらしい

30、病理解剖結果考察

31、退院後の合間をぬって海外旅行

32、友人のフラットメイト(同居人)にどう接する

33、放射線治療の予約形態

34、放射線通いは月初から始めるべし

35、2か月休職後に復職してナチュラルになじむ

36、ホルモン治療

37、アンジェリーナジョリーの件

38、ベリーショートをあたかもファッションでやっているように

はじめに

~このブログの目的~

 

アクセスいただきありがとうございます。

このブログは、比較的忙しい仕事をしていながらプライベートでも音楽活動やオーケストラ運営などもしているかなりアクティブな未婚の女が29歳で乳癌がみつかり、術前抗癌剤、温存手術、放射線、ホルモン治療のフルコースをこなしながら仕事やプライベート活動を極力犠牲にせずに淡々とこなしてきた記録を書かせていただくことをメインテーマとしております。

 

乳癌の治療をテーマとした患者さんのブログは数多く存在しますが、当初はそういった類のものを書く気はありませんでした。

その理由は、多くの治療レポブログに見られる

「私、乳癌治療してるけど元気だよ!」

「乳癌患者さんの心の支えになりたい!」

「治療のことを心配している人に詳細を伝えてあげたい!」

といった傷を舐め合うノリにいまいち共感できなかったからです。

(まあその中でも、早期発見促進といったピンクリボン的な主張は大賛成ですが。)

 

決して否定しているわけではないですが、その人が元気かどうかを知ったところで何の得にもなりませんし、心が支えられても癌細胞が消えるわけではないですから。

 

私はかなりの理論人間で、プライベートでも常にロジックで判断してしまいます。なので漠然とした不安とかも持ちませんし、あまり気持ちの落ち込みとかそういうものも少ないです。

現状の問題を追求し、解決方法を考えて毎日生きています。

何せ癌自体の自覚症状はないわけですから、治療行為による他の弊害については負担を感じることもありますが、「心のケア」とか言われても「ケアされてもだから何って感じ」になってしまうという状態です。

 

ではなぜブログを書こうと思ったのか。

 

ブログ立ち上げの現在は、治療はすでに抗癌剤、手術、放射線を終えてホルモン治療をスタートさせたところまできています。

これまで治療を進める中で、いくつかの自己選択を求められるシチュエーション、質問してはじめて分かった事実、「これやって支障とか無いのかな」「これいつからできるんだろう」といった行動を自己判断でやってみて大丈夫だったこと等がよくありました。

疑問が生まれた時、自分でネットの病気記事や乳癌治療ブログを読ませていただくこともかなりあり、「事例」としてかなり参考になりました。

そこで、私も結構周囲に驚かれるような「治療中だけど全然いけた」という体験を、これから治療を始める方や現在治療中の方に「参考事例」として知って頂けたら少しは役に立つのではないかなと、治療の最終段階を迎えて急に思い立ったのです。

 

日常の行動制限については、医師によってかなり異なります。

致命的な問題が想定されない限り何やってもOK。問題起きたらそのとき処置すればいいし。という先生もいれば、

リスクをかなり懸念する先生もいます。

「やりたいならどうぞ。保証はしない」とか言われても逆に困りますよね。絶対にやりたいという程でもないという事案の場合、それがどのくらいのレベルでやばいのかを提示してくれなければ余計に悩むだけですし、だからといって懸念事項を全て回避していたら人生損してしまいます。

 

処方箋や、病院でくれる「がん治療マニュアル」的なものはかなり手厚めに言ってきます。

「市販でも良いけど、できれば医療用の方が良い」とやたら高額な医療用グッズを勧めてきます。

私も随分いろいろな所で「検討」を重ねました。

 

そんな、「検討」されてる方の参考になれる情報が発信できれば・・・

 これがブログを立ち上げたきっかけです。

 

同じく乳癌治療中の方や、乳癌について詳しく知りたい方など、是非意見交換できたらなとも思っております。

 

すでに終えていることをさかのぼって、検査から現在の治療まで順を追って書いていきますので、どうかお付き合いいただければと思います。